「ヤマメに学ぶブナ帯文化」

11.のさらん福は願い申さん

 森の暮らしの狩猟採集生活には、自然循環型の「自然との共生」思想があった。狩猟儀礼作法の世界にそれを見ることができる。

 日本三大秘境の一つといわれる宮崎県椎葉村で猟を営む尾前善則さんは、古来からの狩猟儀礼作法の伝承者だ。彼は「猟師は、山のすべてを山の神が支配し、獲物は山の神からの授かりものであるということを知らなければならない」という。狩猟期以外でも山の神への祈りと感謝の気持ちを忘れない。季節の節目や折々の祈りの唱えごとをそらんじている。

 「定められた暮らしの作法を守り、正しい行いをしていれば山の神は獲物を与えてくれるものだ。それ以上は望みません」という。その心が「のさらん福は願い申さん」である。「のさらん」とは授からないものという意味で「山の神から授けてもらったものだけで満足です」という謙虚な姿勢だ。

 狩りは、山の神へ猟の安全と感謝を祈る唱えごとから始まり、干支の方位の順に出猟する。干支の方位は時計まわりであるからその順番に狩る方向が決まるのである。狩りに出掛ける方向が逆めぐりになることをサカメグリと呼び忌み嫌う。サカメグリの方位に傷ついた獲物がいて猟犬を仕掛ければ捕れることが分かっていても犬を繋いで山を下りるのである。サカメグリを嫌う作法は、獲物を育てながら捕るという、現在の禁猟区や休猟区と同じ仕組みを生活のなかに取り入れた作法だ。

 尾前さんは、山の神へオコゼを白紙に包んで捧げる「オコゼまつり」をしていたという。海のオコゼを山の神に捧げる習わしは、日本各地で行われていたようだ。日本民俗学の父といわれる柳田國男氏は、椎葉山中で狩りの話を聞き、のちに「後狩詞記」(のちのかりことばのき)として発表した。この中に「オコゼまつり」の奇習は書き留めてあるが、その意味までは記録がない。尾前さんによると「オコゼまつり」は次のような物語である。

 猟師には、ウウリューシと呼ばれる人とコリューシと呼ばれる人がいる。ウウリューシは、強欲で山の神への感謝を忘れた猟師。コリューシは正直で山の神を大切に作法を守る猟師だ。ある時、二人とも狩りに出掛けそれぞれ山の神に出会った。山の神は女性の神だからお産もする。ちょうどその時ウウリューシが通りかかった。山の神は「何か飲み物、食べ物をもたないか」と問えばウウリューシは「何も持っていない」といって通り過ぎた。次にコリューシが通りかかった。山の神は同じことをコリューシに問うた。するとコリューシは「こんなこともあろうかといつも欠かさず持っています」といって山の神に稗や粟で造った甘酒などご供物を差し出した。

 山の神はたいそう喜んで「さっきウウリューシが通りかかったが、何も差し出さなかった。コリューシよ、お前は正直者だ。これから獲物を授けて進んぜよう」といった。以来、ウウリューシが狩りに出掛けても獲物は捕れず、コリューシが狩りに行くと獲物がまるで飛び掛かってくるように次々と捕れるようになったという。

 そこで、コリューシは毎日のように狩りに出かけ獲物を捕ってきた。するとわが家で食べきれないので、コリューシの奥さんは獲物の肉を町に売りに出かけるようになったのである。(以下次号へ)

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